方便としての いけばなの確立
日本も 本格的な高齢社会 に入ってきました 他の国に先んじてです
期を同じくして あちこちでテロが起きたり 世界中が騒がしくなって来ました
私たちの国も ここ六七十年続いた穏やかな時が 終わろうとしているかに見えます
この時に至って 思いますのは
知恵というものは世代から世代へと 知識の譲り渡しに乗って譲り渡されてきたものだと
ネット社会になった今 人々はインターネットに頼って必要な知識を得ることが多くなっています
それは世代から世代への 智恵の譲り渡しが難しくなり ほとんど無くなったか
有っても 極限られた分量になったということではないでしょうか
智恵と言うものは 極少量は別として 書物やネットから得られるものとは思えません
世代を超えた人的交流によって 行われるのではないかと思えます
勿論 個人の壮絶な人生から 個人が獲得することもあります
長く 喜んだり悲しんだりして 年を生き抜いてきた人には智恵が備わってきます
教養 または 文化と言っていいほどのものが その人の中に蓄積されてきます
それは その人の成果で その人のものです
でもそうでしょうか その蓄積されたものは 社会がその人の中に蓄積したもの
でもあるとも言えると 私は考えます
人生の後半を生きる方々 どうか それを 持つて死なないでください
どうか 同じく人生を生きる 後輩たちに 譲り渡していただきたいのです
私は 世代間の 智恵の 譲り渡しを真剣に考えたいのです
それは これから生きる世代には 宝物をゲットすることですし
晩年を 生きる人々にとつては 輝かしい達成感に満たされた 至福のとき
を持つことになるのではないでしょうか
単に 介護される対称としてだけ 自分を考える 生活からの解放でもあると思います
ここまで話してきましたが 問題は いかにして 楽しみに満ちた
ときにはやわらかく ときには真剣に 向き合える関係を持てるのか
そのような 世代間交流を しかも持続的に持つことが出来るかが
課題です
つづく